日光市内から志津乗越に至る古道を探訪して来ました。 男体山、女峰山、あるいは志津乗越にある「御婆」様へ詣でる古道です。  国土地理院地図に従って歩いたのですがどうも地図に誤りがあるような気がしました。

※ 御婆様については、こちらを参照下さい。 ↓

(12)2022.08.28 日光修験道 夏峯 第12回 寒沢宿と大多和宿 | 空と星と山と (acchidayo.com)

裏見の滝駐車場に車を駐めます。

今日の目的、前半は :

① ウリュー坂を登っていく破線ルートの確認、 そして

② 途中で途絶えている破線ルートの先がどうなっているのか、 の確認です。

先ずは、荒沢川を渡ります。

古河電気工業と日光市水道課 ・・・ 水関係の設備のようです。

古道を進みます。

石柱あり。

道標らしきものが現れます。

右: 慈観の滝、 左: 大真名子山志津のように見えます。

今、ここです!  左に行く道は地図上には出て来ません。 いつか歩いてみよう!!

進みます。

進みます。 前日の雨で濡れています。 (>_<)

林道に出ました。

今、ここです!

びっしょり濡れました。

「チンアナゴ」みたい!!  

あはは! (^^)

慈観の滝方向に進みます。

進みます。

林道と別れ直進。

また林道に出ます。

また直進。

これは何だろう?

丸太で作った崖崩れ対策?

また林道に出ます。

直進します。 古道の跡あり。

進みます。

林道に出ました。

また直進。

進みます。

丸太あり。 人が手を入れたよう。

歩きやすい道に出ました。 芝草が払われています。

どうもこちらが古道のようなのですが、人の手が入った道が気になるので進んでみます。

続いています。

進みます。

甌穴がありました。 これが出来るまでにどのくらいの時間がかかったのでしょうか。 ↓

甌穴 – Wikipedia

今、ここです。 ここまでは順調に来ました。

ここで沢水が得られます。 充分な水量。

ここから沢を渡って北の尾根に移るのですが ・・・ 下を覗き込むと10m以上はあると思われる崖になっています。

今、ここです。 渡渉ポイントを探します ・・・

当時は歩き、馬、駕籠なんですが ・・・ ここを降るのは無理ですよね~  ここで引き返そうかとも思ったのですが時間も早いしせっかくなので、沢沿いに先に進むことにしました。

おそらくここが薬研堀と思われる地点かと思います。 ここなら問題無く渡れます。

上流方向の眺め。

今、ここです!

雑学コーナー: 薬研(やげん)とは何でしょう?

答えは、こちらです!

時代劇、例えば赤ひげ、とかに出て来ますね。 生薬などを碾いて粉末化したりする道具です。 従って、薬研堀というのは薬堀の形状、つまりV字型に掘った底の浅い堀を指します。

 

北西に向かって道らしきものがあります。

古道跡。

こんな感じで崩落しつつある所もありますが危険な感じはありません。

見失ったかと ・・・・

左手に道らしきものが見えたのでそちらの方向へ向かいました。

立派な古道。

今、ここです!

進みます。

石柱がありました。 ここが古道で間違いないような気がします。

今、ここです。

倒木の後。 いったい、倒れてから何年経ったのでしょうか。 そしていつになったら土に帰るのか・・・

崩落地 ですが、その先に視線を移すと古道がしっかり確認できます。

進みます。

古道に土砂が入ってきています。

細くなって来ましたが進みます。

ガサガサ ♪  ガサガサ ♪

野州原林道に出ました。

今、ここです!

こんな所です。

前方に道らしきものが ・・・

今回はここまでで。 この先は次回の宿題にして先に進みます。

野州原林道を進みます。

日光森林管理署 掲示板。 砂防事務所長。

トコトコ!

三叉路に出て来ました。

カメがいました。 (^^)

ロードミラーがあったのでパチリ。 この頃は随分疲れていました。

女峰山方向へ進みます。

涸れた沢あり。

第三号橋梁。

野州原国有林の標柱。

ユンボの手前にある機械、これは何だろう?  ハンドガイドローラー というみたいです。 へえ~ 一人で動かせるんですねん!

ZV550WL|ZV650WL|道路 |業種から探す | 商品情報 (hitachi-kenki.co.jp)

第四号橋梁。

建築物の跡地、 柱だけが残っているのか?

分岐点、富士見峠方向へ進みます。

お花の中を降ります。

荒沢出会に到着。  ペンキで登山道がマーキングされています。 ありがとうございます。

上流方向。 砂防ダムが見えます。

馬立に到着。

今、ここです!

対岸にマークが見えます。 あちらの方向へ進みます。

車を駐めた裏見の滝に進みます。

古いマーク。

ダムが埋まっています。

道を間違わないように確認しながら進みます。

ガスが出ていました。

何となく分かる程度の踏み跡。

分岐点。

手作り道しるべ。  裏見に進みます

 

林道が現れます。

ここを降ります。 林道は歩きません。 方向が違います。

初音雨量観測所がありました。

今日の三つ目、最後の宿題。 イズラ峠探しです。

この辺りから適当に登って探してみます。

鉄柵が現れます・・・ 突破します。  

今、ここです!  でも峠らしきものは見つかりませんでした。

諦めて適当に降ります。

道標。

古道。

戻って来ました。

OMOTENASHIベンチに座ります。

さて、国土地理院地図の破線ルートがどうも違っているように思います。 手元に武田久氏の本があったので何かヒントになる山行記録がないかと調べてみたら、ありました!!

武田久吉氏の明治の山旅(平凡社) 明治35年7月26日の「太郎山に登る」 P57-P58 「・・・現在の五万分の1の地図の志津への破線路の一二カ所の地名を記すと、ウリュー坂を登って、御料林に入ろうとする所の小沢が薬研堀で、それから少し行って、1400メートルの圏のあたりの谷が挺棒河原、それから山陂(さんぱ)を登って、志津小屋の文字の右で渡る小沢が弁天河原である。 弥兵衛ヶ平というのはこの弁天河原の下手の小平地で、昔弥兵衛という男が小屋を建て、裏山登拝の人達の便に供した所ということである。 この辺りには、おおきなシロヤシオなどが生えていたが、現状はどんなであろうか。 全然不明である。」

この記述から推定するとやはり薬研堀で沢を渡るルートが正しいルートであるように思われます。

 

・・・ そんな訳で国土地理院の問い合わせ窓口へメールを送りました。 

 

・・・・ 翌日、返事が戻ってきました。 早い!! こちらです!!

いったん、(私が連絡した)ルートを削除しますという事です。 先ずは、「調査します!」 ぐらいの返信があるかと想像していたのですが ・・・ いやはや、ビックリ! しかし、あんな山の中の古道をそうそう歩く人がいるわけではないのできっと二度と復活しないのではないかと心配します。 間違っていたとしても古道マニアにとってはとても貴重なヒントとなる情報なんで ・・・

早く調査/確認が為されて復活することを願っています。