「おざく信仰」の山 石裂山へ出かけて来ました。 歩いたルートはこちら ↓

今昔マップで明治時代のルートを見て見ると今とは異なる加蘇山神社から峠(御沢峠)を越えて賀蘇山神社へと続く道があったようです。  ちなみに、鹿沼市のホームページはこちらです。

加蘇山神社 | 鹿沼市公式ホームページ (city.kanuma.tochigi.jp)

賀蘇山神社 遥拝殿 | 鹿沼市公式ホームページ (city.kanuma.tochigi.jp)

今昔マップで見る明治時代の道。 ↓

鹿沼から県道240号線を走っていると177号線と合流する上久我を少し過ぎた所に、進行方向左側に灯籠がありました。 引き返して見て見ます。

「石裂山 常夜灯」とあります。 参拝者のためのものなのでしょう。 当時はひたすら歩きですからこういうのを見ると心強かったでしょうね。 (^^)

裏を見ると奉納の年がありました。 宝暦九年 1759年 田沼意次の時代!!

加蘇山神社 社務所に到着しました。

「宿坊」があった様子。 今は利用されていないようでした。 多くの信者がここに来られたんでしょう。

とても立派な神楽殿。 昔は奉納の踊りが舞われ賑わっていたか。 木組みの感じが美しい!

天狗の面が目を惹く。 

まだ新しいトイレもあります。 

警告!! 本格的な登山ルートです。 死傷事故の数字に驚く。

加蘇山神社に到着。 大きな杉が辺りに林立して荘厳な雰囲気を醸し出す。

一周 約4時間のコースです。

NHKの大河ドラマでこの地が利用された様子。

下野国上都賀郡加蘇村石裂山鎮座

本殿に参拝します。

本殿へ。

この龍の迫力がなんとも言えない。 左目がこちらを・・・  

先に進むと「竜ヶ滝」に到着。 先ほどの竜の遊び場か。

滝から立ち上がってくる涼風が心地良い。 (^^)

庵に到着。

ここで月山から ・・・ そして千本桂周りと二つに分岐。 どちらのルートを歩いて良いみたいなので左に進みます。 

トコトコ・・・

この桂の木は栃木県指定の天然記念物。 誕生したのは源氏物語が書かれた時代とか ・・・ 平安時代 1008年 樹齢1000年という事ですね。↓

源氏物語 – Wikipedia

追加: 「カツラは水際に多く自生し、湿地を好む典型的な樹種で、日当たりの良い乾いた尾根ではほとんど見られない[7]。カツラの大木の下には、必ず水脈があるといわれた」  ↓

カツラ (植物) – Wikipedia

足を踏み入れないように、という事なのでここから一枚。

縦方向で ・・・ 圧倒的な存在感!!

すぐ側を流れる清水。

森の中 先に進みます。

中ノ宮に到着。

東屋があります。

行者帰シノ岩 ・・・ 厳しそう~  奥の院に達するのは至難の行。

最初はすぐ上にあるこちらかと思ったのですが ・・・

左手の方角でした。

この古い鎖がなんとも威圧感があります。 昔使われていた鎖でしょう。

この先に奥ノ宮。 

進みます。 今は階段のように整備されていますが これは一枚岩ですね。 階段状に削った跡が残っています。雨後などは滑ったでしょう。

洞窟の中 ・・・ 奥の宮が現れます。 よくぞこの自然洞窟を探し出したものだ!

横から。

進みます。

ここは両側がキレています。 

ヒグスリ岩をトラバースするように安全柵が設置されています。

やっと稜線に出て来ました。

植林地帯。 さぞ苦労されたでしょう。

これが紹介記事でよく見かける階段。 東剣ヶ峯からの下り。 感覚的はほぼ垂直に感じる部分もあります。 足下をちゃんと見て一歩一歩。  

反対側からパチリ。 

こんな場所でよく頑張って大きくなったね~  屈曲した木肌の模様がいい。

第一展望台に向かいます。 ところで、第二はなかったのですが ・・・ (^^;)

正面に見えるのが石裂山。 これを見て修験者は何を思ったのやら・・・

距離以上に時間がかかります。

日光修験道の碑伝です。 令和元年。

この階段を降りて来た。

そしてまた階段。

下ったら登る。 (^^;)  たった100m されど100m 

やっと御沢峠。 古地図に出ていた山越えの峠のポイント。

この先危険。 厳しい道のようです。

 

でも粟野の賀蘇山神社はこっちなんだけど ・・・ つまりは、賀蘇山神社と石裂山神社の両方の奥の院は共通しているのか? ・・・ 次回は賀蘇山神社から登ってみよう!!

やっと石裂山に到着。 ただ、何もなし。 三角点があるのみ。

標高879.4m   火の用心!!

ここにも碑伝が置いてあります。

誰もいないし ・・・ ちょっと遊んで (^^)  ミスタードーナツ!

月山に向かいます。

そんな訳でまた下って ・・・ 登る!

月山に到着。 この石造りの立派な鳥居。 うーん、何やらこちらがメインのような。 それにしてもこの山上までどうやってこの鳥居を持ち上げたんだろう。

石祠。

古鏡?があります。  この山は何処かな? 作者名: 藤原定?  定政かな?? ↓

「藤原定政」でチェックすると江戸時代中期の作品という鏡が出て来ました!!  銅鏡 手鏡「富士山 松 海」と表示されています。 確かに帆掛け舟が二艘確認できます。 ↓

QE4843/銅鏡 手鏡 藤原定政 富士山 松 海の図(鏡)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 – オークファン(aucfan.com)

追加: 鏡の歴史  江戸時代中期の作品の中に藤原定政の作品が出て来ます。  ↓

21852_1_鏡の歴史

廃棄された建築材。 もしかしたらここには立派な社殿があったのかも知れない。

赤い吸い殻入れ。 下今市あたりだけかとおもっていたのですが・・・ ここは宇都宮。 この付近で見たのは初めて!!

小川沢に向かって進めるよう・・・ 次のチャレンジ!!

下山します。

この道をハイキングコースを呼ぶのはちょっと (^^;)

この辺りは植樹帯です。

岸壁の下に・・・

石祠と碑伝。 一番右手・・・熊野修験、那智山 青岸渡寺と書いてあるような。 あの那智の滝のあるお寺です。 ↓

那智山青岸渡寺|熊野三山協議会 (kumano-sanzan.jp)

何気に見えますが谷川は急斜面なので気を付けて。

清水。 手顔を洗う。 気持ちいい!!

合流点に到着。

もう一度 竜ヶ滝へ。

滝に吹き上げられた涼しい風が降り注いできます。 

シカ柵に巻き付いたコケ ・・・ のカーテン (^^)

右から左へ小川が流れています。 その上に架けられたこの橋。 敷き詰められた味わいのある石・・石。 

行きに見たけど立ち寄らなかった石塔。 三基。

その先、倒壊しそうな建屋。

正面から ・・・ ここにも神社が。

鳥居を入れてポチリ。 

神社まで戻って来ました。 杉の大木の向こうに社殿が見えます。

夏の光を浴びて盛んに茂った草の中を流れる小川。

石裂神社駐車場にあったものです。 ここで涼を楽しんでいたご年配のご夫婦と話しをしたらこの辺りに住まわれる方が作っているらしいと。 他にも幾つかの作品が道路沿いに見受けられるそうです。 

社務所に戻って来ました。 荒井川が流れています。

 

この先に大滝というのがあるようです。 凍結した写真が凄い。 見たいもんです。

近くにあった立派であったろう屋敷跡。 既に人は住んでいない様子。

せっかくなので、バス停付近を歩きます。 鹿沼からバスで此所まで来れます。

既に廃校となった石裂小学校跡も立ち寄ってみます。

学校の中は立入禁止!!  ・・・ ちょっと覗いてみます。

当時は石裂神社の詣でてその後小川峠を越えて「古峯神社」に向かったという事らしいです。 様子を見に行くとこんな立派な石道標がありました。

こちらは明治の時代に建てられたようです。

道脇に薬師堂あり。

とても綺麗に保たれています。

延命地蔵様もいらして ・・・   (^^)

 

おざく信仰を調べてみようと検索したらこんなデータが出て来ました。 鹿沼市史を読んでみたいな~

帰る途中見かけた七夕の飾り。 綺麗ですね~

この地域については以下も参考になりました。

石裂山の歴史と文化|霊山を挟む、二つの「かそ神社」 | YAMAP MAGAZINE

#019 鹿沼市立石裂小学校|スゴログ – 日本の凄いトコロ、記録します。 (sugolog.jp)

とても勉強になりました。

また来よう!!