前回からの続きで日光市内から志津乗越までの古道を探し訪ねる山歩きです。 前回のレポはこちら ↓

2022.09.04 古道探訪: 国土地理院地図の誤り? – 男体山 ウリュー坂から薬研堀を通って挺棒河原へ | 空と星と山と (acchidayo.com)

そして今回歩いたルートはこちらです。 今度は逆向きに志津乗越の方から日光市内に向けて歩いています。

■ 今回探してみたいな~と思っているのは :

1) 志津小屋から前回歩いた野州原林道合流地点までの古道を歩いてみる事

2) 弥兵衛という方が建てたであろう小屋の場所を探してみる事。

参考文献: 武田久 明治の山旅(平凡社)

1) ルートの確認はこちら:

 

 

2) 弥兵衛さんの小屋探しはこちら:

上鉢石駐車場(無料)に駐車。

この時間はまだ空きがあります。

秋海棠が軒先に咲いています。

神橋に朝日が射します。

有形文化財の建物と金谷ホテルベーカリー

やっぱり撮ってしまう公衆電話機

今年の国体は栃木で開催されるんだね~

神橋からバスに乗りました。

中禅寺温泉到着、ここでトイレ休憩。 男体山と青空。

三本松で下車、今日はここから歩き始める。

農場と空。

右に温泉ヶ岳、 左に金精山  ・・・ 中央に低くなっているところが (見えないけど) 金精峠。

戦場ヶ原開拓之碑 : 戦場ヶ原の開拓は昭和21年に始ったとのこと。 詳しくはこちらへ ↓

_pdf (jst.go.jp)

天皇皇后両陛下行幸啓記念碑 (昭和37年)

まずは、このルートを歩きます。

自転車が置いてある。 誰かここからスタートしたのか。

実線があるのでちゃんとした道かと思ったら ・・・ いきなりの藪  ははは・・・ (^^;)

次はこんな感じがずっと続きます。

民有保安林 ・・・ 二荒山神社の所有なんでしょうか。

進みます。 ガサガサ ・・・ ガサガサ ♪

左手に保健保安林の柱。

右手に柵あり、シカ対策用か。

何も文字が見えない、木柱。  何だろう?

やっと志津林道へ。 (^^)

林道を進みます。

梵字飯場跡  ・・・ 駐車場はほぼ満杯だった。

今は使われていない旧道へ。

薙に沿ってダイレクトに志津小屋を目指して進みます。 右手が「湯殿沢」

ここを降りて男体山の薙に入ります。

進みます。

防石柵。

薙の右側を歩きます。 道らしいもの ・・・ ありません。

伐採した跡ですね。

溶岩。

ここにもいるのか!! クマさん。

左手下を覗きます。 とても怖くて降りられません。

ちょっとした広場になっていました。

やっと テープを発見。

何かの境か。

日光修験道 大多和宿に到着。 ポールを立てた場所が護摩壇の端です。 石で囲まれているのが分かるでしょうか。

今、大多和宿です。

左から地蔵菩薩坐像・・・不動明王立像・・・火焔光背付不動明王立像

多気山修験者の碑伝

菩薩像の裏側 ・・・ 「湯殿山開山」と彫ってあるそうです。 この像は行恵上人という方らしい ・・・ ↓

ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~全国の姥神像行脚(その4)~「栃木県日光・男体山『志津宮の姥神像』とは・・・  【寄稿文】 廣谷知行」 | ZIPANG-3 TOKIO 2020 (themedia.jp)

先に進みます。

踏み跡あり、 人かシカか。

男体山への登山道に出た。  薙の入口からここまで「古道」らしきものは発見出来ませんでした!! (>_<)

二荒山神社志津宮の石仏群に到着。  先月もここに来ました。 ↓

(12)2022.08.28 日光修験道 夏峯 第12回 寒沢宿と大多和宿 | 空と星と山と (acchidayo.com)

お社に参詣。

御婆様です。

明治41年奉納。 1908年! 今から114年前。

 

志津小屋をパチリ。 一度泊まってみたい。

風力観測機あり。 もう使っていない様子。

志津小屋から点線・・・を歩いて行きます。 そして何の目印のない所を直線的に進みます。

 

まずは、点線部分に入ります。 この山火事用心を越えます。

古道あり。

綺麗に残っています。 順調・・順調 ♪ と思っていたら ・・・

とあっという間に終了して、古道消失。

左手を見上げると大真名子山。

この辺りかなと ・・・ 進みます。

突破するとまた林道に出会います。

進みます。  でも 古道は分かりません。

これは何かの工事の跡か。

古道か?  自信ありません。

広い所に出て来ました。 もしかして茶屋があった場所か?

忘れているかも知れないので ・・・ 再登場 :

大真名子山も見えて眺望も良い場所。 ここしか茶屋を設けるに適当な場所がありませんでした。

進みます。 テープあり。

枯沢を渡ります。  昔はここの沢水が流れていて茶屋で供されていたんだろうか???

この辺り一帯は弁天河原と言われているようです。 何とも猛々しい景色です。

振り返ると男体山が見えます。 ここから見ると薙も見えずたおやかな山に見えます。

一時 見とれてしまった森林風景。

古道と覚しき。

進みます。

もう秋なのか~

こちらも。

道しるべ。 かなり古い。

前回はここに出て来ました。  今度は逆に歩きます。 (下ります。)

古道、 進みます。

サルノコシカケ、今まで何度も見たけどこんな大きいのは初めて、これはゴリラのコシカケではなかろうか!!

古道、進みます。

薬研堀への下降口にテープあり。

薬研堀に到着。

薬研の形に合わせてV字にした。  (^^)

オタマジャクシ みたい ・・・ あはは!

 

手が入った道を歩いてきたら此所に出た。 左手に進むと慈観の滝へ。 今日は右に進みます。

赤マークあり。 どうやら古道歩きの方が残されたマークらしい。 ずっと続いていた。

最近大勢が歩いた様子。

林道に出ました。

赤テープあり。 古道を進みます。

古道が残っています。

素晴しい!!

進みます。

林道を越えます。

 

進みます。

古道。

進みます。

石祠が右上にあり。

裏見の滝には寄らず丹勢方向に進みます。

 

大きなダクトあり。

古河電工のものらしい。

導水管点検枡。 確かに水の音が聞こえました。

マンホールの蓋の上には乗っては行けません!

感電注意。

進みます。

あのヒューム管、苔に覆われている。

古道。

進みます。 綺麗に古道が残されていますね~ (^^)

進みます。

 

魚止道場 先憂神社 ・・・ 何だろう?  こちらにありました。 ↓

安良沢神社と先憂神社 – 歩いてみたブログ (iwalkedblog.com)

先憂神社

精銅所(古河電工日光事業所)の経理課長であった木村豊吉が大正十四年の12月6日に後のボーイスカウトの前身となる日光電気精銅所少年團を組織し、社会教育に貢献しました。

荒澤川のほとりに常設道場を作り「魚止め道場」と呼び、この道場の一角に団員即ち健児の守護神として建てたのが、先憂神社だそうです。

道臣命(ミチノオミノミコト)が祀られています。

長年の風雪や台風の影響で損傷が激しかったため、昭和四十九年(1974)8月11日に、魚止めの撤収式を行い、同年10月6日に安良沢神社に移設され、現在に至っています。

ここに出て来ました。

左は表男体山林道。

清滝駐在所前に到着。 いつバスが来るかと心配していたら何と4分後にバスがやって来た。 ラッキー

バスは満員で座れず・・・ まあ~ いいか! (^^)

結論:

地図には表記がないのですが古道が残されている部分はかなりあり。 ただし、志津乗越を少し下った所までは古道は残っていますがその後弁天河原あたりそして小屋があったという場所までの古道は全くと言ってよいほど痕跡らしきものがなく不明でした。 また行かねばならぬかな (^^;)

とても勉強になりました。

また来よう!!