2025.04.27-05.04_姫路城~大原美術館~備中松山城~岡山天文博物館~鞆の浦温泉~錦帯橋(7泊8日) 1日目
4月27日 旅行1日目。
新幹線で東京駅から姫路駅までピュウ~ 学生の頃、この駅で新幹線の清掃アルバイトをしていた。 ここに来るたびに思い出す。

のぞみ63号 広島行き。

あっという間に姫路駅。

駅構内あったお神輿。



虎ならぬ竜退治。

駅前の居酒屋風のお店でランチ。

いざ、姫路城へ。 お濠で櫓をこぐ小舟。

ごつごつした堅牢な感じの石垣。 ネットで姫路城の石垣と検索すると、出るわ出るわ !(^^)! その一つがこちら。
第68回:城郭談義(その15)「姫路城の石垣①/ 時の経過を語るもの」 | 学芸員コラム | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会


どーんと姫路城。

アップで。 天守台へ向かいます。

「しろまるひめ」 係員の方に聞いて教えてもらいました。

いったい何ケ国語あるのだろう、と驚くガイド。

揚羽蝶。 池田氏の家紋だそうです。

石段を登って行きます。

三つ巴は松平氏の家紋。 検索するとすぐ出てくる。

パチリ。

飛行機雲があったのでアップで。

シャガの花が咲いています。

アップで。

姥ケ石の説明あり。 秀吉が城を築いた折り、石集めに苦労。 それを伝え聞いた貧しいお婆さんが石臼を寄進したらしい。

これです。

しろまるひめ活躍中。

城郭を見上げる。

頼山陽の漢詩アリ。
漢詩の本文
五疊城楼挿晩霞
瓦紋時見刻相花
兗州曾啓阿瞞業
淮鎮堪興匡胤容
甸服昔時随臂指
勲藩今日扼喉牙
猶思経略山陰道
北走因州路作叉
頼山陽
読み下し(参考)
五畳の城楼 晩霞(ばんか)に挿(さ)し
瓦紋(がもん) 時に見る刻相の花
兗州(えんしゅう) かつて啓(ひら)く阿瞞(あまん)の業
淮鎮(わいちん) 興すに堪えたり匡胤(きょういん)の容(かたち)
甸服(でんぷく) 昔時(せきじ) 臂指(ひし)に随(したが)い
勲藩(くんはん) 今日(こんにち) 喉牙(こうが)を扼(やく)す
猶(なお)思う 経略山陰の道
北に因州(いんしゅう)に走れば路(みち)叉(また)をなす
頼山陽

現代語訳
五疊城楼挿晩霞
五層の天守閣が夕焼け雲に突き刺さるようにそびえている。
瓦紋時見刻相花
屋根瓦の模様には、ときおり精巧な彫刻の花模様が見える。
兗州曾啓阿瞞業
かつて曹操(字は孟徳、幼名・阿瞞)が兗州を基盤として覇業を開いたように、
淮鎮堪興匡胤容
また宋の太祖趙匡胤が淮河流域の軍鎮から天下を興したように、
甸服昔時随臂指
昔は周辺諸国が腕や指のように従属し、
勲藩今日扼喉牙
今は功臣の藩として要害の地を押さえている。
猶思経略山陰道
なお思うのは、山陰道経営の大計であり、
北走因州路作叉
北へ因幡国へ向かえば道は二股に分かれる。
この詩の意味
頼山陽は単に城の美しさを褒めているのではない。
彼は姫路城を見て、
山陰地方支配の拠点
軍事上の要衝
因幡(鳥取)と伯耆(米子)を結ぶ交通の結節点
としての価値を論じています。
つまり 「この城は単なる地方城郭ではない。山陰経営の鍵を握る戦略拠点だ」 という歴史家・政治評論家らしい視点で詠んだ作品。
↓ なにか文字が刻まれていた場所。

しゃちほこ。

先ほど歩いて来た城内の公園の様子。

このウサギは!!

火縄銃はこうやって掛けてあったようだ。

一体どれだけの木材が必要だったのだろう。

ここでも活躍中。

せっかくなのでアップで。

アゲハチョウのアップ ・・・ でもあまりにもリアリズムあり過ぎて怖い!

そして、こちらが今回のお目当ての「灰頭」です。

アップで。

新旧の灰頭。



靴袋回収箱。

青空に白い漆喰が似合う。

なんだか空に浮かんでいるように見える。

古墳時代の石棺ですら城壁に利用された。

こちらでも。



最後に一枚。

と言いつつ、もう一枚。

次はこちらに。

入口の案内。


あずきと言ったら、十勝!!

世界の五分の一を日本で消費とは! 日本人はあずき大好き ・・・ 私もです。 !(^^)!


さて、お宿へ。 こちらに2泊します。

無事に一日目を終了。


