勝道上人が修行された路を訪ねて歩く - 出流山満願寺から日光へ - を進めていく中で不思議な建造物が目に入りました   この回の報告はこちらになります ↓

(6)出流山満願寺から日光へ 2021.04.18 粕尾峠から勝雲山・三枚石を越して深山巴の宿まで | 空と星と山と (acchidayo.com)

さて見かけた建造物がこちらです 最初は井戸かと思ったのですがこんなに沢山は要らないしもし井戸なら危ないので蓋がされているとか埋めてあるとか ・・・ 何だろう?

粕尾峠からここに来るまで幾つか廃屋があったのですが 別荘?みたいな建物 あるいはもっと古い住居 でもこの建造物は明らかに何だろう? 想像がつきません!!  帰宅後調べてみたらここに満州から疎開された方々が入植されて酪農と寒冷地野菜栽培を営なまれていた事が分かりました。 そう この円柱形の構造物は「サイロ」でした!

郷土史『足尾郷土誌 1978年版』にはこう書かれているそうです

1948 昭和23 満洲からの引揚者(59戸)による開拓農家横根山に入植。(p.160)
1951 昭和26 足尾小学校横根山分校12林斑地に建つ。(※「斑」は原文ママ)(p.160)
1963 昭和38 横根山道路が竣工した。(p.161)
1965 昭和40 横根山に横根山ロッジ開設。(p.161)
1966 昭和41 足尾小学校横根山分校8林班地に移り建つ。(p.161)
1973 昭和48 4月横根山開拓農協解散。5月横根山ロッジ閉鎖。(p.162)
1974 昭和49 3月横根山分校廃止。(p.162)

国会図書館のデータベースから引用しています ↓

旧足尾町(現在は日光市)の横根山開拓に関する資料(開拓村の生活の様子、学校の様子等)が知りたい。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)

入植された方々の住まわれていた場所でしょうか 住居跡と思われる建造物 跡が残っています

やかんをちょっと掘り起こしてみました  丸っこくて可愛い!! (^^)

ガソリン入れかな

一升瓶はお酒か

MISAKI Eledtricの電灯  ・・・ こちらの会社でしょうか 会社概要/ミサキ電機株式会社 (misakidenki.co.jp)

朽ちた建物

一輪車がひっくり返っていました

広場があります

何の小屋だったのでしょうか

電気はきていたみたいです

 

観光用だったのでしょうか「横根山ロッジ」が建設されたようです  こちらもかなり痛んではいますがまだ建造物は残っていました

付近を歩いていると 「関東霊園」という案内版があります きちんと整備された小道を歩いて行くとお墓が見えてきました これが開拓団の方々に関係するのかははっきりしないのですが日光市のホームページにこちらを見つけました ↓

日光市営関東霊園条例 (nikko.lg.jp)

1974年(昭和49年)3月横根山分校廃止という事で郷土史の年表は終わっているようですがおそらくこの年にここに残っていた入植者の方々は3月末の学校廃止とともにこの地を離れられたのでしょう 学校の跡がないかと探してみました すると 少し開けた場所の片隅に鉄棒と思わしきものがが残っていました

 

ここで遊んでいた子ども達ももう60歳前後でしょうか 懐かしい鉄棒かも知れません

山には人の営みの歴史が残っているのを感じます

最後にこの近くにあった大木です とても印象的でした 

 

この後はまた訪ねています。 第二回はこちらになります。

2022.08.07 横根山 開拓団跡地再訪(2回目) 満州疎開者の入植廃墟跡を訪ねて

第三回はこちらです。

2023.05.28 横根山 開拓団跡地訪問 (第3回)満州疎開者の入植廃墟跡を訪ねて