2025.01.22_会津中街道 第一回 阿久津河岸~氏家 

会津中街道歩きシリーズ 第一回目です。 今日はほんのちょっとだけ。 (^^)

この歴史小説を読んでいたら偶然に鬼怒川 最上流に位置した「阿久津河岸」の記述に出会い、やっと氏家宿の重要性・位置づけに気づく。 会津はもとより東北地方の物資がここから鬼怒川を使って江戸に運ばれていた物流の拠点であった様子。

さらに調べると氏家のミュージアムに資料が展示されているらしいと分かり訪問。

入場料300円。 江戸時代の氏家宿の役割についての多くの展示あり。 ただし、写真撮影不可! 

野口雨情のコーナーもあり。

栃木 日展が開催されていた。 見た途端に「妙義山」 (^^)

氏家、喜連川の町史も販売されていた。

こちらの書籍を購入。 1500円。 135ページ。
栃木の街道歩きをされる方にはお薦めの一冊だと思う。

さて、会津中街道の少し手前 往時の河岸あたりからスタート。

白澤宿から氏家宿の途中にある阿久津河岸の鬼怒川の渡し跡。

日光ファミリー連山の眺め。

利根川との合流点から88kmらしい。

高原山。 よく見ると白い鳥がたくさんいる。

白鳥の飛来地だそうだ。

沢山いるんだね。

最後にもう一枚。

阿久津大橋を渡る。

橋上からの那須の山々。

鬼怒川の流れ。 多くの船の往来で賑わっていたらしい。

シルビアシジミ・・蝶の発見の地らしい。

さくら市側を訪ねる。 川の一里塚の碑あり。

石碑の裏側に「阿久津河岸」の説明あり。 入船千艘、出船千艘。 往時の賑わいの様子。 東北地方からの物資の輸送、そして江戸からは反物を運んで来たとある。 想像を逞しくさせる文章だった。

阿久津河岸から氏家宿までおよそ5kmほどを歩く。 途中にあった大木は当時の様子を眺めていたのかも。

将軍地蔵。

大きなイチョウあり。 その下にあったお地蔵様。

説明版の「そうめん地蔵」の伝説誕生、そして日光の「強飯式」のくだりが興味深い。

 

灯籠が多数あった。

こちらは天保十年。 1837年。

こちらは・・

文化八年。1811年。

進みます。

奥州街道の道標あり。

お伊勢の森の道標あり。

大きな木がある。

伊勢神宮を勧請したものらしい。 ここにも「阿久津」の地名が登場する。

前方に踏み切りあり。

この名前が何ともいい。 「旧奥州街道踏切」

ここでもクマなの (^_^;)

 

道標とお地蔵様

説明版あり。

「右 江戸海道」の表記。 「海」の文字が色々想像させてくれる。

昔の名前が残る。

こちらも。

奥州街道はここを右に進む。

ここから会津中街道に入る。

せっかくなので道路脇のさくら市役所に立ち寄る。

アメリカのカリフォルニアの都市と姉妹都市らしい。

戻る途中に見つけた「川岸」の文字。 色んな所に昔の名残があるようだ。

栃木の街道歩き。 日光への道がひと段落したので、次は奥州街道と会津中街道を歩いてみようかと思っているのですが、とくに会津中街道は情報がとても少ない。 西街道の代案として用いられ利用された期間も短いので仕方ないのでしょう。 さらに「氏家宿」については馴染みがなく、「どうしてここが?」という感じを抱いていました。

ところが、図書館から借りた時代小説の中に鬼怒川最上流の河岸である「阿久津河岸」の記述があり、ここが物流の拠点であった様子。 すると「さくらミュージアム」に当時の資料が展示されている事が分かり、さっそく訪ねてみた次第です。

単なる時代小説と思いきや、氏家宿の重要性、そして会津中街道を歩こう! という強烈な後押しをしてもらいました。 (^^)

第二回目はこちらになります。  ↓

2025.01.26_会津中街道 第二回 再訪 阿久津河岸 | 空と星と山と

 

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