会津西街道を調べていく中で、江戸時代に吉田松陰がここを歩いたという記事を目にしました。 どこかにその内容がないものかと調べたら、本人が記した「東北遊日記」にその様子がありました。
時は、嘉永五年(1852年)になりますが、3月30日に田島を立ち山王峠を越えてその日は高原宿に宿をとり、翌4月1日は高原宿から藤原~高徳~今市~日光を訪ね、鉢石に宿をとったようです。
出典: 日本思想体系54 吉田松陰
一日の行程がおよそ11里ということなので、毎日40数キロを歩いていたようです。 鬼怒川が「絹川」、五十里が「碇」、 上三依が「上三世利」・・・ 今の表現と異なります。