2025.06.26_吉田松陰と会津西街道 1852年 会津田島から山王峠を越えて高原宿に泊まる

会津西街道を調べていく中で、江戸時代に吉田松陰がここを歩いたという記事を目にしました。 どこかにその内容がないものかと調べたら、本人が記した「東北遊日記」にその様子がありました。

時は、嘉永五年(1852年)になりますが、3月30日に田島を立ち山王峠を越えてその日は高原宿に宿をとり、翌4月1日は高原宿から藤原~高徳~今市~日光を訪ね、鉢石に宿をとったようです。

出典: 日本思想体系54 吉田松陰

一日の行程がおよそ11里ということなので、毎日40数キロを歩いていたようです。 鬼怒川が「絹川」、五十里が「碇」、 上三依が「上三世利」・・・  今の表現と異なります。

道中の様子も書かれていて楽しめました。

吉田松陰もあの道を歩いたのか~、と思うと何やら感慨深いです。

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