2025.12.23_高原山の軍馬牧場跡 – 土塁と界石探索 第1回目(No.83,84,85)

高原山に明治期にあった軍馬牧場、その土塁と界石が残っているので探索に出かけました。

矢板 水と緑の公園からスタートしようかと思ったら道路状態が悪くて手前に駐車。

木ノ芽沢の流れ。

矢板 水と緑の公園。

案内版。

この辺りから稜線をめがけて進みます。

作業道跡。

稜線に出る。

シカ道。

立派な作業道に出会う。

さらに進むとマイクロ波中継局あり。 4基のパラボラアンテナあり。

三角点あり。

アップで。

陸軍用地界石あり。 上部が破損している。

苔を取り除き少し掘り出します。 番号は? 63もしくは83? 以前見たとの同じ石、安山岩? と独自の楷書体で同じ形式のように見えます。

土塁の範囲を確認するためにどこまであるのか確認します。

続いています。

ここで終了。 右手は谷状になっています。

西側は植林帯ですが、傾斜がきつい。

南側に戻って土塁に沿って西に進みます。

界石と同じ石に見えます。 砕かれた一部か。

金精川が見えます。

渡渉します。

見出標あり。

尾根に向かって登ります。

土塁再出現。

土塁に沿って歩きます。

空き瓶あり。

二つ目。 No.84。 従って先ほどの界石はNo.83という事になる。 尚、元々は「朱色」で彩色されていたようです。

南方向に延びる土塁。

土塁に沿って進みます。

これが本日3基目。 No.85。 こちらも朱色が残っています。
110年以上の歳月を経ても、風雨雪のこの厳しい環境の中でこの色が残っているのは驚きです。

 

アップで。

冬靴のチェックも兼ねて。 買ってからもう20年。 大丈夫そうでした。

庚申塔あり。

下山中。 住友ミュージアム。

山縣有朋記念館。

今回、三基の界石を見つけました。

土塁の構築と界石の設置の関係について、なんとなく規則性というかパターンが見えてきたような感じがします。
1.軍馬牧場は西、東と分かれて構築されており西山は明治40年に完成、東山は同41年完成。 このためでしょうか、界石の番号は西側から東側へと数が増すよう。
2.界石の表記には2パターンあるもよう。 今回の通常のものと、「川界」と記されたもの。
3.現在の国土地理院の地図の土塁の位置は一部実際と異なる箇所がある。 たぶん、戦後、転記する中で省略あるいは誤記されたものだと思われる。 実際の土塁を丹念に辿っていくと界石にも必然的に出会うように思われます。
軍馬牧場については、「矢板市史」の中に関連記述あり。 東山牧場は放牧開始直後に病名不明の病気により壊滅状態となり廃止となった、という記事には驚きました。 また今回、朱色で彩色されていたというのは新たな発見でした。

界石関連記録:
(1)No.29,No.30 (※No.30は川界石)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6691707.html

(2)No.42
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8905963.html

また来よう!!

 

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