2025.05.26_古道「中禅寺街道」はどこを通っていたのか?_日光から中禅寺湖へと至る道_
日光市内から中禅祠にあがる「中禅寺街道」の道筋についての記録です。 日光市史から関連ありそうな所を見てみると:
日光市史下巻_P476には 「馬返しから中宮祠にあがるいわゆるいろは坂が自動車の通行可能になったのは大正十五年(1926)といわれている。

同P149 明治9年(1876)の明治天皇の行幸の記録。
「鹵簿は七里まで馬車でいき、そこから乗馬にかわり、馬返し・中禅寺間は輿を使用したといわれている。」
※ 鹵簿(ろぼ): 馬車の車列を指す用語で近衛騎兵による儀仗警衛を伴った行列(車列)のことを特にそう呼ぶ。

同P91の記述 「六月八日は、中宮祠に行幸された。 ・・・ 乗馬で中禅寺街道を進まれた。(当時の街道は、神橋より馬返しまで大谷川に沿っていて、現在とは異なっていた)

この文章 :当時の街道は、神橋より馬返しまで大谷川に沿っていて、現在とは異なっていた。
というのは実に不思議な文章で、今のR120はまさに大谷川に沿っています。 もしかして、日光市史が記述された時にはR120が開通していなかった? と思ったけど、調べてみるとこの道路は1965年には開通したらしい。 日光史史の発行は昭和54年(1979年) ↓
となると、この「中禅寺街道」はどこを通っていたのだろうか。 神橋から西に延びる道があったらしい。 現在の古河電工工場から西(左手)にのびる道がある。 途中で道は消えているが左側の赤色立体地図を見るとさらに西に延びている事がわかる。 小ピーク847と沼ノ平に挟まれた谷間、歩くと坂道になるがここが「牛王坂」と呼ばれた場所らしい。
実際に歩いてみるとこんな様子だ。

牛王坂と思われる場所には木の鳥居がある。

献灯の石塔、石祠そして

不動明王立像あり。 この道が「中禅寺街道」だったのでしょうか。

さて、次はいろは坂に残る痕跡探しです。 左の赤色立体地図にあるジグザク。 右の現在の地図に書き込んでみます。(緑線)
この緑線を歩いてみると確かに道があります。 いろは坂(第一いろは坂)を下る車の音は聞こえますが、車は見えません。

道にぽつんと取り残された木製の電柱あり。 この一本だけで他には見当たりません。 いったいどこからどこへ繋がっていたのやら。

下っていくと中ノ茶屋跡に出ます。

ここで明治天皇が休息された様子が記されています。P91(再掲) どうやらこの場所は中禅寺街道であったようです。 (※中ノ茶屋の場所が移設されていなければ。)

茶屋跡を正面から撮影。

1)「当時の街道は、神橋より馬返しまで大谷川に沿っていて、現在とは異なっていた。」・・ という記述と今回歩いた牛王坂を通る道の関係は不明。
2) 現在のいろは坂はほぼ当時の中禅寺街道をベースに建設されており、今回歩いたごく一部が残った、という事でしょうか。



