大朝日岳山頂避難小屋周辺の二つの祠について
大朝日岳山頂避難小屋に泊まって朝日連峰を歩いて来ました。 詳しくはこちら ↓
2025.07.02-05_朝日連峰を訪ねて第二回 ー 縦走へと向かうも・・・なかなか簡単には歩かせてくれません。 | 空と星と山と
この時小屋周辺に二つの祠があったので調べてみました。
一つ目: 霊山朝日嶽神社奥宮
場所は、小屋から北東方向に300mぐらい進んだ所で銀玉水の方から登ってくるとすぐ分ります。
まずは、こちらの碑が目に入ります。

矢印の方向に進むとケルン状に石が積まれたいます。

その隣に祠があります。 こちらが奥宮だと思われます。

どちらを向いているかと思うと、南東の方角のようです。

奥宮があるという事なので「里宮」がきっとこの方角方向にあるのだろうと調べてみたらこちらの記事を発見。 鳥原山の鳥原小屋隣に里宮があるらしい。
靈山朝日嶽神社(出羽国式外社・その7?) – 神が宿るところ
二つ目: 避難小屋のすぐ前にある祠
小屋のすぐ前にありますが、不思議なのは四本の杭に囲まれた中にありそこに「借受人 東北電力株式会社山形支店長」と書かれた標杭があることです。

横からみると 「用途 神社敷 面積 0.0007HA」とあります。 この面積をヘクタールで表すのにもちょっと頬が緩んでしまいましたが、いずれにしても何でまた東北電力が?

ちなみに方角は北方向、月山の方向を向いているようです。 先述の朝日嶽神社とは関係がなさそうかと。
こちらも調べてみました。 これが正しいかちょっと確信が持てませんが ・・・
朝日岳神社建立の経緯
■元々の設置者は「山形電気株式会社」 大正末期〜昭和初期(1920〜1930年代)山形県内の電気事業は、山形電気株式会社 という地元の 電力会社が運営していた。 この山形電気は、電源開発・送電事業の安全祈願や社員の信仰心醸成のために山岳信仰の神社を設置 。 当時、山頂に立てられた鉄筋コンクリート製の小祠(朝日岳神社)は、登山者や電力会社関係者にとって信仰・慰霊の対象となっていた。
■ 戦時中の電力国家統制
1939年(昭和14年)政府は「電力国家管理法」を制定し、全国の電力事業を一元化。日本発送電株式会社 という国営会社に、全国の電力会社の発電・送電設備と関連資産が統合された。 これにより、山形電気が所有していた施設や山岳資産も、日本発送電に移管。
■ 戦後の電力再編
1951年(昭和26年) GHQの指導で、日本発送電は9つの地域電力会社に分割され東北地方の管轄は「東北電力株式会社」となり、旧山形電気の資産が東北電力に引き継がれた。
結果として現在の所有者が東北電力に まとめると、
1️⃣ 山形電気が山岳信仰の小祠を建立
2️⃣ 日本発送電へ統合
3️⃣ 戦後、東北電力へ分割移譲
という経緯により、朝日岳神社(小祠)は現在も東北電力の所有物 となっている、という事らしいです。 祠の向きは月山と関係あるのかな~
なぜ東北電力が? と思ったのですが、理由が分ってほっとしました。 とても勉強になりました。


