2025.02.24_巴波川 第一回 渡良瀬遊水地(渡良瀬川と巴波川の合流点)

山と川は切っても切れない関係みたい。 前回、渡良瀬川と江戸川べりを歩いた所、色々得るものがあったので今回は「巴波川」(うずま川と読みます)を訪ねて歩くことにしました。 第一回目は、渡良瀬川と合流する辺りを歩いてみました。

江戸時代の主要河岸の場所を示した地図です。 巴波川沿いの河岸があった「部屋」辺りと渡良瀬川の合流地点を歩く予定です。

現在の渡良瀬遊水地付近には大きな沼が幾つも記されています。 その中で最も大きいのが赤麻沼。

先ずは情報入手のためにハートランド城へ。 名前は渡良瀬遊水地がハートの形に似ているから、らしいです。

ボランティアのガイドクラブがあるらしい。

これが、大正11年作成の地図らしい。 赤麻沼があります。

よく見ると、なんと「いはふね」岩舟から線路があり。 今やそんな痕跡は全くありませんが・・・驚きました。

館内にはこちらに示した主要ポイントの説明版がありました。

もう一度全体図。

これが、内務省岩舟石運搬線。 何気にかわいい。 確かに貨物を載せているよう。

こちらは両毛線。 客車のみ。

水戸線。 こちらは客車と貨物運搬車。 そして機関車の種類が両毛線と異なる。

東北本線。 客車のみで長い。 そして機関車もなんか速そう。

思川の近く、たぶん国道4号線を走る車。

なんとオープンカー!!
この地図は見どころ満載で、飽きません。 もっと他にもワクワクする所があるのかも。

飛んでいる鳥 ・・・ コウノトリが昔は飛んでいたそうです。

今年のヨシ焼きは3月1日だそうです。

渡良瀬川。

橋の上から。

何か情報がないかと近くにある「赤麻寺」を訪ねます。

この寺の眼下に広大な赤麻沼が眺望出来た。 赤麻沼は、コイ・ナマズ・ウナギなどの宝庫で当時の赤麻住民は漁業・農業を家業としていた。

さらに歩いて赤麻古墳に到着。 7世紀頃の建造らしい。 この辺りは沼地ではなかったという事か。 そして同じように赤麻沼の魚類を獲っていたのかな。

赤麻古墳です。 こんな大きな岩があるような場所ではないのですが ・・・ どこから運んで来たのだろう

東赤麻橋を渡ります。

巴波川です。 川船が見えます。

石川橋を渡ります。

橋の下流からの巴波川です。 ここから整備されているようです。

八幡宮。

その近くにある門柱。

部屋村役場。これが、見たかった。

ここから東京両国に向けて蒸気船が出ており、田中正造も上京する際にたびたび利用した旨の記述がありました。「日光道中と那須野ケ原」 吉川弘文館

お墓参りに来た、という方としばし歓談。 「この役場跡に小学校があったのよ。」と話されていたので、昔の地図を調べたら確かに「文」の文字を発見!

渡良瀬川との合流点に向けて歩きます。 あと2.5km。

藤岡スカイダイビングクラブの敷地みたい。

まだ残っている沼。 遠くに筑波山が見える。

新赤麻橋を渡る。

橋の下を流れる渡良瀬川。

右手に、巴波川と渡良瀬川の合流地点。 真っ直ぐ流れ込んでくるのが巴波川、左手から右に流れるのが渡良瀬川。

ここは、渡良瀬川と利根川の合流地点から5.5kmのところらしい。

もう一度合流点。

進んで行くと「越流堤」につき立入はご遠慮願いますとの案内板あり。  越流堤とは ・・・
「越流堤 洪水調節の目的で、堤防の一部を低くした堤防です。 越流堤の高さを超える洪水では、越流堤から洪水の一部分を調節池などに流し込む構造になっています。 ですから、越流堤は流れの作用で壊れないよう表面をコンクリートなどで覆い、頑丈な構造となっています。」
こんな言葉知りませんでした。

岩舟から延びる鉄道があったのにはちょっとびっくりです。 歩いてみるもんですね。 勉強になりました。

さて、次は巴波川を遡りつつ栃木市へ向かって歩きます。

 

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