Q地図とCodexを使って桃ノ木峠越えの三島街道を国土地理院地図に書き込み、GPXデータを作成する
明治の頃、栃木・福島両県の県令を務めた三島通庸が主導して建設した、塩原から桃ノ木峠を越え、山王峠へとつながる道があります。通称「三島街道」です。
明治17年(1884)10月に開通式が行われたものの、翌年7月には廃道が決定したようです。使われた期間は、わずか9か月ほどでした。
廃道となってから140年余り。実際に一部区間を歩いてみましたが現在は崩落している箇所も多く、当時架けられていた橋も失われ、道筋がはっきりしない場所が数多くあります。
最近、赤色立体地図を利用した「Q地図」が使えるようになったため、これをもとに三島街道のルートを現在の国土地理院地図上に再現し、さらにスマホでも利用できるGPXデータを作成できないか試してみました。
そして今回、その作業に使ったのがAIエージェントの「Codex」です。
■ 作成手順
今回行った作業を簡単にまとめると、
① Q地図を分割し、旧道を色付け
→ ② Q地図で旧道を特定
→ ③ 地理院地図・地形からルートを補正
→ ④ 緯度・経度の連続点を生成
→ ⑤ GPX化
という流れです。
① 最初は失敗
まずQ地図をそのままCodexに読み込ませ、三島街道のルートを判別させてみました。しかし、これはうまくいきませんでした。一枚の地図の中から「これが昔の街道だ」とAIに判断させるのは、まだ難しいようです。
② Q地図を分割してルートを読み込ませる
そこで方法を変え、Q地図をいくつかのパートに分け、私が古道と思われるルートを色付けしてからCodexに読み込ませました。
縮尺や画像サイズなどは何度か試行錯誤しましたが、この方法でルートを読み取ることができました。
③ 国土地理院地図上にルートを再現
それぞれの画像から読み取ったルートを一本につなぎ、さらに国土地理院地図や地形と照合しながら位置を補正。現在の地図上に三島街道のルートを再現しました。
④ 緯度・経度データを作成
地図上に描いた線だけではスマホのGPSでは利用できないため、Codexにルート上の緯度・経度の連続した点を生成させ、位置情報を持ったデータにしました。
⑤ GPXデータを作成
最後に、このデータをGPX形式にしました。
完成したGPXをスマホの地図アプリに読み込むと、復元した三島街道がスマホの現在の地図上に表示されます。これで現地でもGPSを使いながら、推定した旧道と現在地を比較できます。
◆Codexへの指示書(プロンプト)について
こちらを利用しています。 これをベースに今後改善していこうかと思います。
■ 作成したルートについて
① 今回作成した三島街道のルートは、総延長約28.4kmとなりました。 直線距離なら10㎞程度なのでその3倍弱の距離となっています。
② 基本的にはQ地図上のルートをなぞっているため、実際の道筋とは多少のずれがあると思われます。また、往時はいくつもの橋が架けられていたと思われますが、現在では失われており、その正確な位置までは判別できません。そのため今回のGPXでは、そうした場所もルートを線としてつないであります。 (どの程度の縮尺を使うのかもテーマです。 Codexは2枚の地図間のルートのずれがあると「13mのずれがある」、とか情報を出して来ます。)
③ 起点から終点までの直線距離なら十数km程度ですが、復元した街道はその倍以上の長さになりました。当時は馬車も通っていたようなので、急勾配を避けるため、山腹を大きく迂回しながら道が造られたのでしょう。
地図上でその曲がりくねったルートを眺めているだけでも、明治の道路造りの一端が見えてくるようで興味深いものがあります。
■ 今後の応用 ― Codexを使ってみて
今回面白かったのは、単に三島街道のGPXデータができたことだけではありません。
これまでなら、古地図からルートを拾い出し、現在の地図との位置合わせを行い、さらに緯度・経度のデータに変換してGPXを作る必要がありました。特に古地図と現在地図との位置合わせは手間のかかる作業で、GISソフトなどの知識も必要になります。今回は、そのかなりの部分をCodexに任せることができました。
人が古地図やQ地図を見て旧道を判断する
→ Codexにルートを読み取らせる
→ 現在の地図上に再現する
→ 緯度・経度の連続データを作る
→ GPX化する
もちろん、AIが古道を勝手に見つけてくれるわけではありません。どこが旧道なのかを判断し、古地図や地形、現地の状況などから検証するのは人間の仕事です。
一方、その判断を実際に使える「地図」や「GPXデータ」にする作業は、Codexを使うことでかなり身近になりました。
■ 登山への応用
今回の方法は、古道探索だけでなく登山にも応用できそうです。
登山地図やヤマレコなどにルートがなくても、地形図を見ながら自分でルートを考え、Codexを使ってGPX化し、スマホに入れて現地で確かめる。 あるいは、既存のルート同士をつなぎ合わせて、自分なりの新しいルートをつくることもことも可能です。
**「選んだルートを歩く」から、「自分でルートをつくって歩く」へ **
AIを使えば、そんな山歩きも、これまでより身近になりそうです。
添付:
・作成した最終版地図 クリックしてみて下さい。 ⇓

・Q地図と国土地理院地図

・当時の馬車

過去に歩いた三島街道
栃木の峠#27 桃ノ木峠 明治期に建設された「三島街道」 ウトウ沢林道から桃ノ木峠を越えてワイルドフィールズおじかまで 2023.04.24 | 空と星と山と
2023.06.17 古道探訪 140年前に建設された三島街道を歩く (第2回)ー 山王峠から男鹿川までー | 空と星と山と



ヤマレコから参りました。たにと申します。
本日は(2026/09/25・金)、私が書いた2つのコメントに丁寧に返しを頂きまして、どうもありがとうございました。
GPXデータ作成してヤマレコにアップする手順、さっそく取り組んでみます。これ、ものすごく革命的だと思います。
お礼に、三島通庸のデータを書き出すことにしました。
『日本知事人名辞典(全2巻)』 歴代知事編纂会, 2012, 日本図書センター,pp.260-261
より書き出します。この本の情報がネット上にあがるのは本邦初と想定しているので、AIも知らない情報てんこもりだと思います(多分)
ご当地の歴史が好きそうな方とお見受けしました、ご賞味いただけましたら幸いです。
★下野(栃木県)
●初代県令 鍋島幹(なべしまみき)
□従二位勲一等 男爵
□広島県知事 貴族院議員
□任期 明治四年(一八七一)十一月十三日〜明治十三年(一八八〇)十月二十九日
約九年間にわたる在任中、穏健な政策を打ち出し、県民に広く親しまれたのが、初代県令・鍋島幹である。鍋島は、弘化元年(一八四四)九月、佐賀に生まれた。そして、明治ニ年(一八六九)鍋島門閥の縁故で日光県権知事となつた。鍋島、二十五歳のときのことである。
やがて、日光県知事となり、明治四年(一八七一)日光県が壬生、吹上、佐野、足利、館林の各藩と合県して栃木県となるとその県令となり、さらに五藩を合県した宇都宮県の県令をも兼ねた。いまだ鍋島は二十代。世人からは嫉妬の的となり、“小児県令”と呼ばれたほどであった。しかし、表面的には温和だが、シンの強い性格の持ち主であった鍋島は、雑音に惑わされることはなかった。本籍を栃木県に移し、誠心誠意、県政に取り組んだのである。鍋島の治績で、もっとも評価が高いのが、「那須野ヶ原開発」だ。
那須野ヶ原は、那須・塩原の連山のふもとに広がる平野の総称。この地帯は水の便が悪く、明治維新までほとんど開発されず、雑草が生い茂っていた。明治政府は、この広大な未墾の地に目をつけたのである。この政府の動きと時を同じくして、県内でも、鍋島を中心として印南丈作、矢板武らが那須野ヶ原開発、とくに那珂川の取水路や水路線などの建設に意欲を燃やした。明治十一年に提出された開発計画は総工費十六万六千円という巨額で(ちなみに明治十二年の県予算は二十三万一千円であった) このため鍋島は政府に国庫支出を働きかけたが政府は二の足を踏む。結局開墾事業から着手することになり、明治十三年に初グワ。
(コメント) 25才で知事になったとは!!明治になって初めて県がやった仕事が、那須・塩原の開発だったようですね。
●2代県令 藤川為親(ふじかわためちか)
□従五位
□島根県令
□任期 明治十三年(一八八〇)十月二十九日〜明治十六年(一八八三)十月三十日
藤川為親は、長崎県の士族の家庭に生まれた。長きにわたり、その職にあった初代県令・鍋島幹が元老院議官として中央に栄転したため、新川県大書記官であった藤川が、ニ代県令に昇任した。
藤川は大書記官時代の三年間も“温和な人物”として人望を集めていた。当時“自由民権運動”が盛んで、各県で議会人と県令の対立が激しかった。しかし藤川は議員の間でも「平和主義の男」と評された。
そのエピソードはいくつかある。明治一四年(一八八一)の第三回通常県議会では、県令と議会が例によって激しく対立していた。しかし、藤川は、中学校新築案を三度否決されても、県令執行の挙に出なかったのである。というのも、当時は、県令が原案を執行することは、全国的に流行していた観すらあったのに、藤川は”平和主義”を守り続けたのだった。今様にいうなら、藤川はさしずめ”対話と協調路線”を貫いた行政者というところだろう。
また、藤川は公害問題にも目を向けた。慶長十五年(一六一〇)に発見され、明治十年(一八七七)に古河市兵衛が経営に乗り出してから、飛躍的に生産額を伸ばした足尾銅山。しかし、それにともない、足尾銅山から流出する鉱毒は渡良瀬川沿岸の農民の生活をおびやかし始めていた。明治十三年には、洪水ごとに魚が浮き、渡良瀬川で水泳をすると「皮膚が痛む」などという訴えが多く出された。そこで、藤川は同年
「渡良瀬川の魚族は衛生に害あるにより一切捕擭することを禁ず」
との達しを出した.。
(コメント) 藤川はすばらしい名県知事ですね!足尾銅山は1610からあったけれど、生産量が少なかったので公害問題はなかった。明治十年(1880)代から、渡良瀬川がヤバいことになったようですね。藤川の在任期間が1880.10.29-1883.10.30 で、そのとき田中正造 (1841.12.15-1913.09.04) は39-42歳。
●3代県令 三島通庸(みしまみちつね)
□従五位 子爵
□警視総監
□任期 明治十六年(一八八三)十月三十日〜明治十八年(一八八五) 一月二十二日
三島通庸は天保六年(一八三五)鹿児島県に生まれる。西郷隆盛の弟西郷従通とは竹馬の友。戊辰戦争では山陰、東北に従軍した。
三島の性格は、剛毅果断・豪放闊達で、見識も高かった。そのため、西郷にも認められ、維新後西郷は東京府知事といぅ高官に推すが、三島は固辞し、明治四年(一八七一)東京府六等出仕という低い地位から、官僚生活のスタートを切っている。
しかし、官僚としての三島のもつ才能は群を抜き、間もなく頭角を現し、明治五年には、文部省のナンパ— 4である教部大丞に就任(酒田県令 をも兼任)したのである。酒田県令として「ワッパ騒動」を鎮圧、明治九年山形県令、明治十五年福島県令、翌年には本県県令を兼任、栄華の道を歩むことになるのである。
ところで、三島は”暴君”と名高かった。山形・福島の県令時代、住民に負担の多い土木工事を強行したり、自由民権派の弾圧で知られていた。とくに、会津三方道路開削工事を立案したため、労役賦役に反対する農民の先頭に立った河野広中の福島自由党弾圧のいわゆる「福島事件」が有名だ。
三島は県民の恐怖のなか、県令に着任した。そして、着任後三か月足らずで、栃木から宇都宮への県庁移転問題に着手、それから四十八日後には完成させている。まさに“モーレツ県令”。権カをフルに使った強引なやり方であったことはいうまでもない。宇都宮近在の住民たちに莫大な寄付と労役を強制し、もし拒否すれば投獄する、といった具合であった。
(コメント) 第2代とは違って、相当ヤバい男ですね、三島は。この荒々しい男と田中正造が激突したのは、歴史の撃鉄が引かれた、画期的な瞬間だったのかもしれません。
三島街道も、よく見たら何かおかしいですね。開通が明治17年(1884)10月~翌年7月まで、って。
使われた期間が た っ た 9 か 月。
農民を無理やり稼働して強行させた匂いがプンプンしますねぇ。
田中正造がからんでいたら歴史遺産化も考えられますが、三島通庸がらみなので・・・地元の人から忌み嫌われ、栃木県も表舞台に出さない可能性もあるな、と。このルートを栃木県が整備して、歴史街道として売り出すことはないかもしれない。
以上、わたしの推測の域を出ませんので、もし間違っていたらすみません。
ただ、歴史好きな山歩き人にとっては、垂涎の宝物です。裏に隠された歴史ロマンをしのびながら歩く、またとない絶好のコースであると言えます。
●4代県令 樺山資雄(かばやますけお)
□宮城県知事
□任期
明治十八年(一八八五) 一月二十二日~明治十九年(一八八六)七月十八日
明治十九年七月十九日~明治ニ十ニ年(一八八九)十二月二十三日
樺山は、天保十年(一八三七)四月、鹿児島県の士族の家に生まれた。
県会とことごとく対立した前任の三島通庸県令が、明治十七年(一八八四)十一月三十一日、内務省土木局長に転出したあと、後任県令は容易に決定せず、”県令不在”の時期がしばらく続いた。そして、明治十八年一月二十二日、ようやく樺山が本県大書記官から四代県令に昇任したのである。
那須疏水の開削は、本県にとって悲願であった。初代・鍋島、ニ代・藤川、三代・三島の各県令が、この大工事に熱意をもって対処したことはいうまでもない。樺山も、当然それを引き継いだ。
明治十七年、すでに試削がはじまり、借入金が投入されていた。そして、明治十八年四月には、十万円の補助金を伴って、本格的な那須疏水の開削が認可されたのである。これにより、明治十八年九月には、疏水の本幹線工事が竣工し、同月十五日、三島肇耕社において通水式が行われた。このとき、北白川宮、山県内務卿、三島土木局長、樺山県令らが列席し、祝辞を述べたのである。
樺山県政のもと、さらに支線工事が進められ、明治十九年夏には、支線を含めた那須疏水の完成をみるに至ったのである。
樺山は、前県令・三島のように、県会と激しく対立することはなかった。三島県令のもとでの大書記官時代の経験からか、三島前県令の轍を踏むまいとしたのではないだろうか。
(コメント) 那須疏水が、明治初期の栃木県の大事業だったのですね。おかげで記録的大雨が降っても大丈夫な治水が可能になったのでしょうね。4代まで見てみましたが、3代の三島通庸(みしまみちつね)が突出していることが分かりました。
4代まで栃木県知事の歴史をひもといた結果、
三島街道は、裏に隠された歴史ロマンをしのびながら歩く、絶好のコースであることが分かりました。
タニ様
貴重な情報ありがとうございます。
ヤマレコで述べられていたようにAIエージェントを使ったGPXデータは色々な活用方法があるように思われます。
試して頂ければ幸いです。
またまた、たにです。ヤマレコに独自ルート設定することに成功しましたので、ご報告することに致しました。
今日教えてもらって、初めて全国Q地図の存在を知って、ルートを引こうとしました。そこで、気づいたことがありました。
全国Q地図には直線ツールしかなく、<点と点を結んで滑らかにする=ベジエ曲線>が引けない。
Claudeに聞いたところ、QGIS(LTR版 3.44)を入れて、「Bezier Editing」プラグインをいれなければならない、というので入れて格闘しました。
1. XYZタイルの新規接続を、3つ作る
a. 地理院の標準地図 `https://cyberjapandata.gsi.go.jp/xyz/std/{z}/{x}/{y}.png`
b. 県のCS立体図 `https://rinya-hyogo.geospatial.jp/2023/rinya/tile/csmap/{z}/{x}/{y}.png`
c. 全国Q地図の標高タイル `https://mapdata.qchizu.xyz/03_dem/52_gsi/all_2026/1_01/{z}/{x}/{y}.png`
→「PngTile2Dem」というプラグインを入れて、陰影図を出す
2. ベジエ曲線でルートを描く
a. ルート用のレイヤを作る
1. メニューの「レイヤ」→「レイヤを作成」→「新規GeoPackageレイヤ」で、次のように設定。
– 「…」を押して、保存先とファイル名(例:`maya_route.gpkg`)を指定
– テーブル名:`route`(何でもいい)
– ジオメトリタイプ:ラインストリング(LineString)
– 座標参照系:EPSG:4326 – WGS 84(デフォルト)
– 新規フィールド:名前に `name`、タイプ「テキスト」を入れて「フィールドリストに追加」を押します。GPXに書き出したときのルート名になります。
2. OKを押すと、レイヤパネルに `route` が追加されます。
b. いよいよ本操作
1. レイヤパネルで `route` を選び、ツールバーの 鉛筆アイコンを押すと、いよいよベジエ描き
2. Bezier Editingのツールバーから、ベジエ(ペン)ツールを選ぶ
3. 地図の上で次のように操作します。
– クリック:その位置にアンカー(点)を打ちます。前のアンカーとの間が直線で結ばるので、尾根や曲がり角ごとに打っていきます。
– クリックしたままドラッグ:ハンドルが伸びて、線がなめらかに曲がります。
4. 右クリックして、線を確定します。属性の入力画面が出たら、`name` に「摩耶山 西側ルート」などと入力。
確定すると、アンカーとハンドルが消えて、普通の線の表示に変わる。
「レイヤの編集を保存」 を押して、鉛筆アイコンを押して編集モードを終了。
作ったルートを右クリックして「属性テーブルを開く」を選び、1行あることを確認。
「登山道に沿って描くときは、陰影図や等高線を見ながら尾根や谷を読むと正確に描けます。アンカーは細かく打ちすぎず、曲がり角ごとに打つときれいに仕上がります。」
→たしかに。その通りでした
「操作の詳しい説明は、[プラグインの公式ページ](https://github.com/tmizu23/BezierEditing)のWiki(日本語版あり)にあります。」
→めちゃくちゃ便利だったので、作成者のmizutaniさんには本当に感謝しなければいけません。
3. GPXで書き出す
1. 作ったルートをを右クリックし、「エクスポート」→「地物の保存」を選びます。
2. 次のように設定します。
– 形式:GPX
– ファイル名:`maya_route.gpx` など
– 座標参照系:EPSG:4326 – WGS 84(デフォルト)
– ダイアログの中にある「エクスポートするフィールドとエクスポートオプションを選択」
`fid` のチェックを外す。`name` はチェックしたままにしておくと、GPXのルート名になります。
– レイヤオプション:`FORCE_GPX_TRACK` を YES。
3. OKを押せば完成です。このファイルをヤマレコにアップロードしてください。
できました。通常にないルートを選択し、無事アップロードが完了しました。(「摩耶山→森林植物園東門、近道チャレンジ」)
QGISでベジエ曲線でルートを引き、GPXデビューすることができて、夢のようです。好きなようにルートが引けて、ものすごく嬉しいです!!
明日、チャレンジしてきます。何段階もレベルアップできた気分です。
本当に、ありがとうございました。
タニ様
なるほど、QGISを使えばアンカーが打てるのですね。 ここは私も悩みでした。 作成したルートはどうしても直線的になるので、Codexに再度指示して地図の縮尺を変えることで
滑らかな線にさせていたポイントですがきっと差分が出るのだろう、とは認識していたところでした。
さっそく試してみます。 作成したものと実際の差分がどう出るか楽しみです。