2025.06.27-28_南アルプス 鳳凰三山 (山梨県)
たぶん、20年ぶりぐらいで鳳凰三山へ。 記憶がどこまで蘇るのか回想しながらトコトコ歩いて来ました。
広河原への南アルプスバスは、今日から運用始まるようだ。
5時半ゲート開く。 満員のお客さん、立っている人もいたけど、を乗せて2台のバスが通り過ぎて行った。 北岳に登る人たちだろう。
鳳凰三山への取付きはゲートからやや下った左手。 修験道者が通ったという夜叉神峠からの道を歩くことにした。
皇太子徳仁親王殿下(当時)御登山記念碑あり。 昭和51年4月4日~5日 夜叉神、杖立峠へ登られたらしい。
テント泊者への注意書きあり。
夜叉神峠に向かって進みます。
山小屋情報もあり。 基本は事前予約制らしい。
すぐに現れる石積み。 登山道の整備が目的らしい。
木の説明。 この後もたびたび見かけた。 可愛らしい。
倒木が道を塞いでいた。 木の根本から倒れていた。 南御室小屋でこの倒木の話をしたら、今日伐採するので帰る頃には整理されているはず、ですよと。
こちらが翌日の同じ場所。きちんと整理されていた。
マムシ草あり。
よく整備された登山道。
石祠あり。
山の神を祀ったものらしい。
ブナの巨木、この辺りから2-300m上の高度の所の間でよく見かけた。
たぶん、炭焼き場の跡だろう。
五本松あり。
上を見上げると一つの幹が五本に分かれている。(写真だと5本を一緒に写せられず。)
夜叉神峠に到着。
石碑有り。 1950(昭和25)年、山梨日日新聞が募集した俳句の優秀作品らしい。
「鳶(とび)はなつ、夜叉神峠雪解風(ゆきげかぜ)」 とあるようだ。
夜叉神峠からの眺め。 あいにく白峰三山は雲の中。
夜叉神峠小屋は閉まっていた。
ここにもテント場があるようだ。
夜叉神峠の由来あり。 不思議な名前だと思っていたのでこれを読んで理解した。 それにしても天長二年というのは、平安時代825年。
その隣に石祠二基あり。
サルオガセをよく見かけた。
よく整備された登山道。
突然現れた休憩椅子、使わせてもらった。
杖立峠に到着。
マーキングに笑う。
この辺りからシラビソの香が漂っていた。 朝の冷たい空気と馴染む。
シカがいるのかな、と思ったら ・・・
ご当人登場。 のんびりと草を食んでいる。
この辺りの苔の森は素晴らしい。
こういう風景は南アルプスらしい。
苺平。 この苺の名前はどこから来たんだろう? この景色と苺がマッチしなかった。
あと15分で御室の美味しい湧水。
小屋付近は圏外。
この辺りなら大丈夫。
南御室小屋に到着。 この山小屋の雰囲気、南アルプスらしいなあ~。
ちょっと角度を変えてもう一枚。
水場を訪ねる。
これが、「南アルプス天然水」 さっそく頂きました。 冷たかった!!
ここ以外に湧水地点がないらしい。 加えてこの平らな場所、修験者がここを拠点としていたのだろうか。
クマもいるようだ。
何となく不釣り合いな現代IT機器。
そして煙突からは煙が。 この煙を眺めながらのんびりと優雅な時間を過ごす。
二日目は朝の時時出発。薬師岳から眺める白峰三山。 ちょうど朝日が三山の山頂を照らし出す。
朝焼け。
視線をやや西にずらすと富士山が視界に入る。
観音岳に向かって進みます。
鳳凰小屋分岐点あり。地蔵岳に向かって進みます。
風雪に耐えた老木とその先に見えるオベリスク。
進みます。
この白砂が清浄の意味を持ったらしい。 地蔵岳のオベリスクが真正面に。
数多のお地蔵様。 願いが叶ってここに奉納された方もいらっしゃるとか。
後ろに見えるのは甲斐駒ヶ岳。
こちらには古そうなお地蔵さまがあった。
空が青い。
北岳バットレス四尾根が見えたのでアップで。 昔、あそこを登攀したなあ~と想い出した。
観音岳への登り返し。 なかなか辛い。
この斜めの岩が気になったのでパチリ。
北岳肩の小屋をアップで。
来るときは余裕無かったので観音岳に立ち寄る。
三角点を探したのですが・・・ これ?
手前が釜無川だと思う。 あちらから見ると鳳凰が翼を広げたように見えるのだろう。
心地よい稜線歩き。
なかなか先に進まない。
薬師岳から眺める白峰三山。
青木鉱泉への登山道あり。
赤い屋根の薬師岳小屋が見えて来た。
薬師岳小屋前を過ぎる。
天然の石室。 修験道者に利用されたのだろうか。
石を掘った階段、とても助かった。
下ってきて振り返る。
この辺りを歩いた時は真っ暗で、朝は気づかなかった巨岩群。
南御室小屋が見えて来た。
小屋の方に聞いたらお子さんを授かったそうだ。
テント場に戻って来ました。 撤収して下山します。
大木が気になったのでパチリ。
夜叉神小屋も営業していた。
無事帰着。
20年前のかすかな記憶を辿りながら歩いてみました。 前回も南御室小屋にテントを設営したのですが、どの辺りだったろうかと探してみたり。 また機会を見つけて来よう!!
(参考:ガスの消費量 38グラムだった。)