栃木県の下野市にある「下野薬師寺歴史館」を訪ねて来ました (下野・・シモツケ と読みます ゲヤでもシモノではありません ・・・ 地名は難しいですね~)  歴史館のホームページはこちらになります ↓

下野薬師寺歴史館 - 下野市文化財バーチャルミュージアム (shimotsuke-bunkazai.com)

こちらが正面入口です  入口に手を挙げているキャラクターがいます 万葉のイメージかな (^^)

挨拶文がありました  創建は7世紀末の天武天皇の頃 8世紀後半には戒壇が設置されていた ・・・ そうなんです ここに来て「戒壇」を初めて知りました・・・勉強不足 (^_^;) 奈良の東大寺 筑紫の観世音寺そしてこの下野の薬師寺に戒壇が設置されていた!  日本で三カ所のみ という由緒ある場所だったのです 元々ここを訪ねた理由の一つは道鏡が左遷されてここに来たという事だったのですがそんな重要な地だったのですね

太宰府市文化ふれあい館 歴史の散歩道(史跡スポット) (dazaifu-bunka.or.jp)

復元模型があったので撮影

もう一枚パチリ 当時にこんな五重塔はとても目立っただでしょう 

「三戒壇」の説明です  「本朝三戒壇」あるいは「天下の三戒壇」  そして「受戒」とは?

受戒とは – コトバンク (kotobank.jp)

日本では、天平勝宝六年(七五四)に東大寺で三師七証(戒和上・教授師・羯磨師と七名の立会僧)による受戒が鑑真によって執り行なわれ、天平宝字五年(七六一下野薬師寺筑紫の観世音寺に戒壇を設けての受戒が行なわれた。

まさか三戒壇が鑑真に結びつくとは思っていなかったので驚く 鑑真の日本来訪の意味合いが少し分かったような気がしました!  鑑真とは戒律を極めた人物でありこの戒律を日本にもたらすために日本に招かれたのです!!

見事な蓮の花の紋様

下野薬師寺近辺が人々の生活の中心地だったことが伺えます

そしてこちらが東山道のルート図です 下野国府は薬師寺のすぐ近くにあります

歴史館を出て薬師寺跡に行ってみました

発掘の後 こんな様子で残されています

案内があります 

鑑真和上ゆかりの木 「瓊花」(ケイカ)  こちらに説明がありました ↓  花の咲く頃行ってみよう~

瓊花(タマバナ)はどんな植物?Weblio辞書

戒壇堂です 大工の方が修理工事をされていました

窪田空穂歌碑がありました 当時は麦畑が広がっていたようです

 

 

復元された回廊です

回廊の説明です  杭の場所が分かるように石が置いてあるのですね

五重塔があった場所の説明 当時はこんな高い建築物はなかったのではるか遠くから見えていたのでしょう

回廊北側の建物

帰路で見かけた「飛び出し注意」 分かりやすい!!   道鏡の説明はこちらへ 歴史館では詳しい説明はありませんでした  ↓

道鏡 – Wikipedia

とても勉強になりました!

また来よう!!