2024.03.22 栃木の峠#29 田保坂峠とお地蔵様(峠越えのルートは二つあった!!)

昨年(2023年2月4日)に歩いた折、ちょっと変な場所で石祠を見かけた。 調べてみるとどうやら古い峠で「田保坂峠」という名前で名草と田保の集落を結んでいたらしい。 今回、名草から田保側へ往復するような形でそれぞれ違うルートで歩いてみました。 すると田保側に道標があり「右 なぐさ」 「左 やま」という表記がなされています。 どうやら田保坂峠には二つのルートがあったようです。

こちらは昨年歩いた内容です。 ↓

2023.02.04 安蘇山塊 山王山から老越路峠へ (佐野) | 空と星と山と (acchidayo.com)

今回歩いたルートです。 赤は往路、 水色は復路になります。

名草側からスタート。 道路脇に車を駐めます。

「勘定谷戸」という地名も興味深い。

人家のすぐ近くで猿が遊んでいる。

石碑あり。

大聖不動 とあるようです。

先に進むと右手に石組みの壁あり。 一部は崩壊しているようだ。

ここが入口か。 興味はあったが先を急いでいるので今日はパス!

沢沿いに進みます。 「夏畑沢」というらしい。

作業小屋あり。

石仏・石祠群。

左側 「百番観音」と読める。

畑の中にポツンとありました。 岩になにか文字があるような気がしましたが・・・

土塀の廃墟。

その先にも石仏群。

宝暦七年 1756年。 随分と古い。

作業道の終点です。

沢を登ります。

倒木あり。 多少面倒くさいですが、滝はないので危ない所はありません。

尾根に登る途中にあった穴。 炭焼き小屋??

ちょっと不気味なので中には入りません。 熊がいたりして ・・・ (^_^;)

尾根に上がりました。

赤テープ。 こんな場所を歩く人もいるんですね~  → お前もだろう (^_^;)!!

ここは凄い急斜面! 四つんばいになって登りました。

念のためチェーンスパイクを装着。

峠に到着。 何も無し。 境界石あり。

峠1の場所です。

植林地帯を下ります。

沢、と言っても水は流れていませんが、下ります。

猛禽類に襲われたか。

下って来てこれを見つけました。 →の指す方向は下って来た峠の方向を指します。 ・・・という事はあれも「田保坂峠」だったの? 一ッ橋というのが名草側のどこかにあるのか。

丸太橋あり。

古道が残っています。

また丸太橋あり。

ここにもあった道標。 

そして、これが今日の驚き! 「右 なぐさ」 「左 やま」 これから判断すると田保坂峠越えは二つのルートがあって、私は「やま ルート」を通ってきたことになりそうです。

すぐ近く、なぐさ側にあったお地蔵様。 寛保元年 1741年。 こちらも歴史あります。

左側から降りて来ました。 戻りは「なぐさ」の右ルートで戻る予定です。

今、緑の「分岐点」にいます。

先に進みます。 きのこ用かな。

白梅に青空。

田保沢あり。

向こうに何かあるぞ。

沢沿いにあったお地蔵様。 道路を作るとき移動させたのかな。

さらに進むと石仏・石祠群。

田保側から見た田保坂峠。中央のやや低くなった所。

戻る途中に見かけた「猿」

道標の場所まで戻って来ました。

沢沿いに進みます。

飛駒田保分収造林地。

沢沿いなので荒れています。 これが古道かよく分りません。

さらに進むと明らかに古道をと覚しき道が見えて来ました。

はっきりと分る道筋。

なだらかな流線型を描きながら徐々に高度を上げていきます。 これなら馬を引いて歩けたでしょう。

もうすぐ峠の頂き。

峠道の右手にお地蔵様が現れます。 木にもたれかかっています。 足下を見ると台座が壊れているみたい。

峠2の地点です。

あたりをウロウロ。 5mぐらい離れた所に台座の片端を見つけました。

せっかくなので、こんな感じでしょうか。 お地蔵様は西の方向を向いていたのですが、峠を行交う人を迎える様に向きを変えました。

さらに進むと右手に石祠あり。

享保十年でしょうか。 1725年。 もしかして、この峠道は1700年代前半に整備されたのかな。

さらに進むと倒れた石祠あり。

ちょっと修復。

古道はさらに続いているようですが害獣ネットに阻まれます。

ネット沿いに歩いていると破れた「穴」を発見。 くぐります。

藪。 (>_<)

さらに進むとなんとなく道らしきものあり。

下でネットから出られるか不明だったのでこの破損したとこから脱出します。

古道はネットとの間を出たり入ったりしながら下まで繫がっているようでした。

作業道に出て来ました。

筋斗雲2号待機!

こんなところに、とびだし「とび太」君。 (^^)

名草はホタルの里らしい。

ハイキングコース案内図あり。 田保坂峠はないですね~

藤坂峠に向かう道との合流点に道標あり。 「左 三和村 松田」 

これ、見にくいのですが、「右・・・田保坂」とあるようです。

こうなるようです。 確かに、三和村 松田があります。

大正七年という事なので、昭和の初期あたりまでは利用されていたのでしょうか。 また途中にあった「→ 一ッ橋 田保」の道標を考えると最近まで使う人がいたような気がします

とても勉強になりました。 「右 なぐさ」「左 やま」の道標はよい思い出になりそうです。 

また来よう!!

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