2024.12.19 日光 北街道 第3回(終了) 矢板~大田原
松尾芭蕉と曽良の二人も歩いたという日光北街道歩きもこれで最後。 矢板から大田原までを歩きました。 前回はこちら↓
2024.12.19 日光 北街道 第2回(1回目の修正歩き)と栃木の峠#36 倉掛峠 | 空と星と山と
歩いたルートです。
矢板の長峰公園からスタート。
公園を右手に見ながら歩きます。
東北本線脇の道を進みます。 カーブになっている左から右手へと日光街道は続いています。
左手はというと、東北本線によって寸断されています。 電柱の見えている方向が日光から続く道です。
進みます。
あの先の二股に分かれている箇所を左に進みます。
日光北街道の説明版あり。 東北諸藩の大名の日光参詣道として開削され、東照宮参拝道、物資輸送路として利用された。 また松尾芭蕉がこの道を歩き北へと向かった。
こんな感じです。
進みます。
古道の雰囲気を残しています。
民家の裏手に日光北街道の説明書きがありました。
かなり分かり易い。
杉の苗木がちょっと邪魔ですが・・・
芭蕉の句あり。
旧日光北街道。
製材所があります。
一般道に合流。
梅が窪不動尊。
こちらが不動尊。
石碑があります。
下の方をよく見たら、仏さまの姿かな。
ネギ畑の先に雪を抱いた那須の山々。
矢板・那珂川線を進みます。
安全運転・自然を守ろう!!
栃木県那須学園の生徒さんの作品かな。
新幹線の高架をくぐって進みます。
何だろう。 石碑が幾つもあるけど。
沢の馬市碑との事。 この辺りは馬の産地であり、福島の南部駒、三春駒、那須駒などの馬の産地と一緒にここで馬市が明治時代から昭和初期まで開催され賑わっていたらしい。
生馬神の石碑。
石像、何やら気になったのでパチリ。
たぶん、真っ直ぐ進んで川舟で箒川を渡ったと思います。
かさね橋を歩き箒川を渡ります。
「かさね橋」の由来について、芭蕉に同行していた曽良の言葉が添えられています。
箒川の流れ。
「那須与一」の里、大田原。
働く車。
那須塩原市に入りました。
鳥居があります。
おっ、「合格神社」!! 凄い名だな~
消火栓。
道路脇に石碑あり。 文化五年とあります。 1808年。
道標だと思うのですが ・・・ 読めません。
また鳥居あり。
なんじゃもんじゃ、とあり。
旧 日光北街道 道標ですが新しいですね。
なんじゃもんんじゃ通り、あり。 ちょっとびっくり。 (^^)
タイ居酒屋 「チェンマイ」あり。
大田原市に入りました。
馬頭観世音碑あり。
海外労働者紹介所あり。 海外の労働者の方が多いのでしょうか。
百村川を渡ります。
これは、きっと「那須与一」でしょう。
日光北街道道しるべ。
神明町交差点。
右手から来る奥州街道との合流地点です。 今日のゴール!!
すぐ近くにある関東自動車のバスで西那須野駅に向かいます。
時刻標。便数が少ないので要注意。 ただ駅まではわずか5kmなので1時間ちょっと歩けば大丈夫!
バスは空いていました。
無事に日光北街道を歩けました。 寒かったけど、見どころ多く楽しめました。
また来よう!!